どーも、たかき(@takaki_h_81)です。
わたしはアラフォーのサラリーマンなのですが、
ずっと、ずぅ~~~~~っと、
会社に雇われるのが嫌で、
なんとかして自分の力で生きていけないか?
と、考えてきました。
今現在(2021年1月)うつ病から元の会社に復職しています。
この復職なのですが…。
実は2回目っ!
Σ(゚д゚lll)ガーン
ほんとは復職なんてしたくなかったんですよ…。
けどね、
- 金なし
- 能力なし
- 根性無し
「ないない」ばっかりで、
悔しいかな復職することを選ばざるを得ませんでした。
しかしっ!!
自分の力で生きていくことは諦めていませんっ!
(# ゚Д゚)やってやるぜっ!
そのためにも、
- 心
- 体
- 技
を、磨いていきたいと思っています。
なぜ2度のうつ病・2度の復職に至ったのかを、
ざっくりとですが紹介がてらまとめてみたいと思います。
逃げ逃げだった学生時代
わたしは高校卒業を迎えるタイミングで、
専門学校へ行く道を選びました。
これはなぜか?
就職したくなかったから!
です(笑)
いやぁ、ヒドイ理由ですね。
地域でも1,2を争うバカ高校に進学し、
周りの同級生たちは、
進学することなく、
就職の道を歩み始めました。
バカ高校だったため、
その中では少し頭が良く、
大学へも志望推薦をしてくれる状況だったのですが、
家から遠いという理由で(ここでも逃げ逃げ)
家から通える専門学校に行くことにしました。
ゲームが好きなので、

どうせだったらゲームを作りたいっ!
という舐めた理由から、
パソコン関係の専門学校に通うことになりました。
そんな感じで選んだものだから、
プログラミングを習ってみても、

全然わからん…(魔法か?魔法なのか??)
といった、具合。
最悪ですね。
専門学校に行ったは良いのですが、
全くプログラミングはできず、
ゲーム会社に就職するなんてありえませんでした。

ゲームはやって楽しむものだ!
そうこうしていると、
あっという間に専門学校生活の2年間も終わりを迎え、
就職をすることに。

プログラミングもできないしどうしよう?
とりあえず、
専門学校の先生から勧められた、
鉄工所を受けてみることにしました。
ここからが逃げ逃げ人生の本番です…。
鉄工所に入ってから…
専門学校から、
なんとか入った鉄工所。
これがまぁ合わない合わない。
元々がひょろひょろのやせっぽっち。
鉄工所の仕事はめちゃくちゃキツかったんです。
グラインダーという電動工具を使い(下みたいなやつね)
来る日も来る日も、
鉄を削り続ける毎日でした。
何でずっと削ってばっかいたかというと、

それ以外なにも出来なかったから!
めっちゃ不器用なんですよね、わたし…。
だから、他のことをさせてもらえなかった。
一応他にもやってたのはやってたんですけど、
あまりにもヘタ過ぎてほとんど1日中削ってました。
1日仕事が終わって鼻のをかむと、
黒い鼻くそがいっぱい出てきた!
Σ(゚д゚lll)ガーン
ほんとは防塵マスクをしないといけないのですが、
そこの会社は防塵マスクを使っていませんでした…。
もし、粉塵が発生するところで、
防塵マスクを使っていなかったら会社に言って用意してもらうか、
自分で買うようにしましょう。
歳を取ってから肺の病気になる可能性が高まります!
まぁそんな感じで、
周りの見る目も気になって、
だんだんと会社に行くのが嫌になって、
逃げるようにやめてしまいました…。

会社に行っていきなり今日辞めたいって伝えたからね…。
かといって、
働かないわけにはいかないので、
新しい就職探しを始めました。
全くわからない味噌屋に転職
とりあえず、
逃げ逃げの実(ワンピースか!)を食べたわたしは、
ラクができるところはないかと、
職探しをしました。
そんな中「味噌屋」の求人が。
ラクな職を探していたのですが、
ふと目にとまった味噌屋に転職をしました。
ここは代々同じ家系で味噌を作っているらしく、
社員も5人前後ととても少なく、
- 味噌づくり
- 味噌の梱包
- 配送
- 新規営業
色々なことをやらないといけませんでした。

全く楽ではない…
まぁほとんどがルート営業なので、
本来はラクなはずなんです。
しかしっ!
へっぽこでコミュ障なわたしは、
ルート営業も1人でできないダメダメ社員でした。
普通なら、
1人でルート営業をしないといけないところを、
先輩の方と一緒に周っていたので、
グチグチと文句を言われて勝手に凹んでいってしまいました。
まぁほんとにダメダメなので、
言われるのは仕方ありません。
しかし、その頃のわたしは、
耐えることができずに、
この味噌屋も途中で行きづらくなり、
辞めてしまいました。

通勤途中のトイレで吐いてたからね…。
就職してから2年の間に2社を辞めるというスピード出世です!(笑)
3社目でブラック企業に入社
3社目は、
またまた全然違う職種に就職しました。
装置の部品を作る会社です。
工場だったので、
最初の鉄工所を思い浮かべながら面接に行ったのですが、

中がめちゃくちゃキレイっ!
スゴく驚いたことを今でも覚えています。
ここでもへっぽこ&コミュ障を発揮していたのですが、
優しい先輩がいて、
目にかけてくれたので、
なんとかやっていくことができていました。
しかし…。
忙しすぎるっ!
わたしが入社したときは、
創業10年にも満たないくらいで、
イケイケドンドン!
で、仕事量がハンパなかったんです。
- 100時間を超える残業が半年間×2回
- 最長残業時間が189時間
と、残業残業の日々でした。

ちょっと異常でしょ?
まぁこれ以上してるよって方もいるとは思うので、
「無理するな!」
と、わたしは言いたい。
けど、これでうつになったわけではないんです。
なにげに残業は平気でした。
ソコソコのやりがいと、
気の合う同僚。
そしてやったらやった分の残業代。
これがあったので、
体はしんどいながらも何とかなっていました。

残業代が普通の給料を超えた時はビビった。
それが、途中から変わり始めました…。
急拡大を続ける会社。
ホワイト企業になるために、
残業の規制を設けました。
これを聞くと、

残業減っていいじゃん!
って、思いますよね。
これが罠なんです。
仕事量はそのまま、
いや、増え続けているのにも関わらず、
残業時間だけがここまでとラインを引かれたんです。
ようは、
仕事量は増えてるのに、残業はできない
という状況です。
しかし、仕事は待ってくれません。
サービス残業をしないといけなくなりました。
うつ病への階段が目の前に現れました…。
ついにうつ病に
残業代も出ないので、
早く仕事を切り終えたいのですが、
上からは文句を言われます。
このころには、
ひとつのチームの主任となり働いていたので、
上と下の板挟み状態となっており、
だんだんと心も体も疲弊していました。
元のわたし自身がへっぽこなこともあり、
チームも上手くまとまらなくなっていきました。
そうこうしていると、
違う部署の主任が退職するということで、
その後釜として主任を任されることになりました。
その部署には、
とてもめんどくさい人がいて、
しんどかったのですが、
手助けしてくれる仲間がいたおかげで、
ギリギリ間に合わせている状況でした。
(この期間もサービス残業は続いている)
どんどん大きくなっていく会社。
そして、どんどん忙しくなっていき、
人も増え、
機械も増設。
色々な負担がのしかかってきました。
体も心もボロボロです。
上から主任交代を言い渡されました。
正直、
- 嬉しい気持ち
- 悔しい気持ち
両方の気持ちが込み上げてきました。
そして、壊れました。
本当に糸がプツっと切れるような感じです。
会社に行くのが怖くなり、
行けなくなりました。
病院に行くと、

うつ病だね。
それからは家から出ることさえできなくなりました。
ただ、1回目のうつ病はそこまで酷くはなく、
2カ月程度で復職をしました。
うつ病を患ったということで、
新しい部署への異動が言い渡されました。
会社の中では比較的楽な部署です。
うつ病になったので、
徐々に働く時間を増やしていき、
段階的に通常の勤務に変わっていきました。
ただ、会社はやはり大きくなっていき、
忙しさはラクなところにきても変わりません。
他の方は残業している中で、
わたしだけが帰っている状態になり、
肩身の狭い思いをしました。
それからまた残業をするようになり、
体が疲れていきました。
そして、仕事内容も色々と変わり、
心がついていかなくなってきました。
2度目の糸が切れる瞬間です。
2度目のうつ病から2度目の復職へ
前回と同様に、

うつ病だね。
と、医師に言われました。
ここからが長いうつ病期間の始まりです。
1回目と違い、
2回目は1年以上に渡ってうつ病生活を送りました。
まぁまだ病院には通院しているので、
まだ終わっていないのかもしれません。
最初のうちは、
ほんとうに生気がなくなっており、

何のために生きているのだろう?
と、いつも考えていました。
変な話、死にたくなりました。
けど、簡単に死ねる方法はなく、
死ぬ勇気もありませんでした。
ほんとにへっぽこな野郎です。
うつ病で仕事に行っていない間は、
色々なことを考えていました。
ある意味うつ病になって良かったと思うこともあります。
このことについては後々ブログ記事として書きたいと思っています。
うつ病になって考えたこと、それは…

会社に行きたくないっ!
これに尽きますね。
どうやったら会社に行かなくて済むのかということを考えていました。
昔から副業には興味があり、
- 株
- FX
- ポイ活
- ブログ
- 音声配信
- YouTube
- などなど…
色々なことを試してきました。
しかし、雀の涙ほどのお金しか得ることができていません。

今のままでは一生会社勤めをしないといけなくなる…。
絶望ですよね。
うつ病になってまで会社に行って働くなんて。
ただ、稼げていないことが現実としてあります。
休職中に何とか自分で生計を立てていけれるように模索していたのですが、
元々へっぽこであったことと、
行動力の無さで時間ばかりがドンドン過ぎていきました。
そして2020年末。
休職期間のタイムリミットです。
うつ病自体も回復傾向に転じ、
自分でも稼ぐ力がついていないわたしは、
会社に復職するという道しかありませんでした。
会社に復職したけど諦めたわけじゃない
2021年1月に、
うつ病になった会社に2度目の復職をしました。

そんなにツラいなら辞めればいいじゃん。
まだ復職後間もないですが、
それとなく仕事の方はやっていっています。
まぁ日も浅いので、
このまま続けていけるのかは未知数です。
会社にいる人たちはわたしのことを、

うつ病になった可哀そうな人。
として、見ていますので、
ある意味ラッキーです。
少々へっぽこだろうが何だろうが、
温かい目で見守っていてくれます。
これは1回目でもそうでした。
ただ、後から後からボディブローのように効いてくるんです。
というか、勝手に自分がそう思っているだけかもしれません。
人の目がどうしても何か言っているように思えてしまうんですよね。
今思えばこういった性格だからうつ病になったのかもしれないなぁ。
話が少しズレてきましたので戻しますが、
わたしは2度目の復職をしました。
ただ、

自分で生計を立てる!
ここの部分に関して変わることはありません。
というか、逆に強く思うようになりました。
やっぱり嫌なことってやりたくないじゃないですか?
だから自分が好きな事をやって暮らしていけれる人生を歩みたいんです。
個人で稼げることの証明を残す

そんなにツラいなら辞めればいいじゃん。
そうですよね。
そりゃわかってるんですよ。
ただ、へっぽこ過ぎて勇気がでないんです。
Twitterなどを見ていると、

嫌なら辞めろ!

会社員で消耗するくらいなら逃げろ!
色々な意見が見られます。
けれどなかなかそうはいかない人も多いんです。
- 借金がある人
- 家庭がある人
- 自分の強みを見い出せない人
これはわたしだけに限ったわけではないと思います。
みんな何かの理由や不安があり、
思い切った行動がとれない。
だから、わたしが行動を起こして、
人生を変えていく様子をお伝えしていければと思い、
ブログを書いています。
時代は日々移り変わっていき、
会社に一生を捧げるという生き方も通用しなくなってきました。
日本でもフリーランスと呼ばれる言葉が浸透してきています。
何かひとつでも秀でていればそれで食っていけれる時代なんです。
他より少しでも秀でているものの掛け合わせで食っていけれる時代なんです。
今のわたしにその力はありません。
ですから、自分の力を会社に捧げるのではなくて、
自分の資産に変えていく努力を、
このブログには書いていこうと思っています。
自分が幸せになるために。
あなたの幸せのために。
見ていてください。
わたしは変わります。
自分自身が主人公で好きなように生きる人生を歩みます。
それでは、また。
ではでは。
【追伸】
たかきろくという名前は、
「たかき」がやっていることを記録していくという意味で、
『たかきろく』
というブログ名にしました。

はい、そこ、安易だとか言わないように(笑)
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